1:百武彗星(福岡県)
2012/03/17(土) 01:39:22.39 ID:V+HiWxZ60 BE:2452755694-PLT(13055) ポイント特典
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昨年10月、ファミリーレストランで待ち合わせたシンジさん(30)=仮名=が、給料明細の束をばさばさと揺らしながら、訴えるような視線をこちらに向けて話し始めた。
「これでは将来がまるで見通せないでしょう」。介護福祉士として岡山県南の福祉施設で頑張っているが、仕事がきつい割に月の手取りは夜勤や残業の多い月で14万円台、少ない月は12万円にも満たない。
「30歳といえば、それなりの稼ぎと蓄えがあって、一家の大黒柱になって……」
銀行マンの父と比べながら、自らのふがいなさに声を落とした。
福祉系の短大を出て10年余り。介護職は高校時代から目標にしていた理想の仕事だったが、一本道を歩き続けてきたわけではない。
確かに、駆け出しは時代の波にも乗ってすこぶる順調だった。
介護保険制度が始まった翌年の2001年にすんなり就職が決まり、仕事はハードだったが、やりがいは十分に感じられた。入浴を介助したお年寄りから「ありがとう」と声を掛けられると、誇らしくもあった。
が、ピュアな心意気も年を追って徐々にしぼんでいく。業界の低賃金構造が行く手を阻んだのだ。
いくら働いても年収はずっと300万円余り。独身で寮暮らしだったから何とかしのげたが、とても貯蓄どころではない。休日は寝るだけ。次第に交友関係も途絶えていった。
現実に押しつぶされた形で理想は崩れ、彼は6年後に泣く泣く介護の場を去るが、ここからが本当の試練で、今度は時代の荒波をもろに受ける。
高所作業から引っ越し、顧客の勧誘…。新たな道を探すため、日雇い派遣でさまざまな職場を転々とし、大手家電メーカーの工場では1年間働けば正社員になれると言われていたが、
派遣元の不祥事や08年のリーマン・ショックに遭遇して結局は全てを失い、3年前に縁あって振り出しの介護職に戻ることになった。
「幼いころ、誕生日には必ずケーキが用意されていて、月に1回は近所のレストランで家族そろって外食していた。何げないことかもしれませんが、僕にとっては人生観を形づくった思い出ですね」
いつの日か、「父のように」と願うシンジさんだが、介護業界の窮状は今も変わらない。仕事はハードなのに給料は安く、離職率も高いという細い道が続く。
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/30s/news/2012/03/15/20120315114659.html